人気漫画『チェンソーマン』の第二部に対し、「脚本がめちゃくちゃ」「ついていけない」と感じる読者が増えているのをご存じでしょうか。
ネット上では「作画がひどい」「ストーリーが意味不明」「キャラクター性がブレている」「話が全く進まない」といった声が噴出し、中には打ち切り⁉︎ という不安すらささやかれています。
第一部と比べて絵が違うと言われる理由や、隔週連載になった影響など、その背景には複数の要因が隠されています。
ここからは6つの観点から、なぜ世間の間でチェンソーマン2部が「つまらない」と評されるのかを徹底解説します。
チェンソーマン2部がつまらない理由① 作画が変わった?
「チェンソーマン」第2部を読んでいて、ふと「絵がなんだか違う…?」と感じた方も少なくないのではないでしょうか。
X(旧Twitter)では「作画が落ちた」「背景が手抜きに見える」といった比較画像が拡散され、1部の功績をまるで『ダンダダン』の作者・龍幸伸さんに丸ごと帰属させるような意見まで飛び交っています…。
正直、私自身は比較図を見るまでは全然気になりませんでした。けど、見比べると確かに線の密度や背景の緻密さに差を感じるのは事実。
ただ、「画力が落ちた」とまで言い切れるかどうかは微妙なところで、むしろ藤本タツキ先生が“簡略化”という演出方法を選んでいるようにも思えます。
★第1部との違いと読者の反応
1部では一枚絵としての完成度が非常に高く、どのコマを切り取っても迫力と緊張感が伝わってきました。
ところが2部では「線が粗い」「背景が消えた」「キャラの動きが固い」と指摘する声が増えています。特にバトルシーンにおいては「ごちゃついていて何が起きているのか分からない」と感じる読者も…。
その一方で、「全く気にならなかった、今の読者は贅沢すぎる!」と反論する声も!
★アシスタントの変化と“ダンダダン”の影響
龍幸伸さんは、藤本先生のアシスタントを経て『ダンダダン』で独立し、緻密な背景描写や勢いのある画風で一気に人気を獲得しました。そのため、彼が抜けたことで「チェンソーマン2部の作画密度が下がった」と言われがちです。
実際、1部で頻繁に見られた細かい背景描写は明らかに減っており、「これは龍さんの仕事だったのでは?」という推測が広まっています。
★作画の荒さ=演出?
ただし、ここを“劣化”と断じるのは早計かもしれません。藤本タツキ先生はもともと「粗さ」や「勢い」を武器にするタイプの作家です。
2部ではあえて描き込みを抑えることで、キャラクターの心理描写やストーリーの雰囲気を際立たせる狙いがあるのかもしれません…。しかし残念ながら、その意図がすべての読者に届いているわけではなく、結果的に「手抜き」「密度不足」と受け取られてしまうことも多いのです。
チェンソーマン2部がつまらない理由② テンポが悪い…?
第2部を読み進めていて、多くの読者が口にするのが「テンポの悪さ」です。
第1部が怒涛の展開で読者を引きずり込んだのに対し、第2部では物語の焦点が広がりすぎ、スピード感が大きく損なわれているように感じます…。
主人公がデンジから三鷹アサへと変わったこと、さらに週刊から隔週連載になったことも、この「間延び感」に拍車をかけているのは間違いないでしょう。
SNS上では「褒めるのが難しいほど展開もテンポも遅く、根拠のない期待だけで読んでいる」といった厳しい意見も。
確かに「落下の悪魔」編のように盛り上がる場面はあるのですが、全体としては爽快感に欠け、特にデンジが無気力に映る表情や行動に付き合いきれない読者も増えています。
「なぜパワーを探しに行かないのか?」という疑問は、1部を読み終えた直後の人ほど強く感じる違和感かもしれません。
★主人公視点がアサに変わったことの影響
第1部では、デンジの「普通の暮らしがしたい」というシンプルで直線的な目的が物語を突き動かしていました。
しかし第2部では、アサとその内に宿る戦◯の悪魔・ヨル、そしてデンジという“ダブル主人公制”が採用され、物語の軸が分散してしまいます。
結果として、どこに視点を置いて物語を追えばいいのかが分かりにくくなり、疾走感を求める読者には物足りなく映るのです…。
★デンジの目的の希薄化
第1部のデンジは「食べたい」「抱きたい」「生きたい」という欲望に忠実で、それが物語の推進力でした。
ところが2部では、彼の目的が曖昧になり、行動理由が見えにくくなっています。物語の中心に立つはずのキャラクターがどこへ進もうとしているのか分からない…そのもどかしさが「テンポの悪さ」と直結しているのかもしれません。
★アサの物語の丁寧さとテンポの遅さ
一方で、アサの心情や成長は細やかに描かれています。読めば読むほど彼女の葛藤や不安定さに共感できる瞬間もあるのですが、逆に言えば第1部のように次々と驚きの展開が押し寄せる“ジェットコースター感”が薄れているのです。
良く言えば「文学的」ですが、悪く言えば「進まない漫画」と受け取られてしまう…。これが、第2部を“つまらない”と評する最大の理由の一つでしょう。
チェンソーマン2部がつまらない理由③ ストーリーが意味不明…?
第2部を読み進めて「一体どこに向かっているのか分からない…」と戸惑った方、きっと少なくないはずです。第1部ではデンジが「普通の暮らしがしたい」「マキマと結ばれたい」といった単純明快な目的を持っていたため、読者は自然と彼の欲望に共感し、物語に引き込まれていきました。
しかし第2部では、デンジの目的は曖昧で、アサに関しても「チェンソーマンを倒す」という動機こそあるものの、描写が弱いために物語全体の推進力が不足しているように感じられます。
★不親切すぎる説明
藤本タツキ先生の魅力の一つは“説明しすぎないこと”ですが、第2部ではその度合いが一層強まりました。
行間を読む楽しさがある反面、情報が不足しすぎて「これはどういう意味なの?」と読者を置き去りにする場面が増えています。
特に1部から読み続けているファンほど「説明不足が加速している」と感じやすいかもしれません…。
★伏線が溜まり続ける不安
国際暗殺者編の伏線をはじめ、過去に提示された数々の謎が未回収のまま新しい要素ばかり積み重なっていく…。その結果、「物語が進んでいないのでは?」というフラストレーションが募ってしまうのです。
テンポの遅さも相まって、「読み続けていればいつか回収されるだろう」と期待しては裏切られ、読者の忍耐力を試すような展開が続いています。
★プロットの複雑化と散漫さ
第1部は「マキマを倒す」という一本の軸が常に存在していました。
それに比べ第2部では、「チェンソーマン教会」「4人の騎士」「戦◯の悪魔」といった複数の要素が同時進行で絡み合い、全体像を掴みにくくなっています。
伏線が過剰に張り巡らされているために、「考察する楽しみ」は確かに存在するものの、その一方で漫画としての純粋で直感的な読み心地が失われつつあります。その結果、読者に「物語が散漫でまとまりを欠いている」という印象を与えてしまっているのです。
……ただ、あくまで私個人の見解ですが、『チェンソーマン』の真価は緻密な伏線回収よりも、暴走する勢いと常軌を逸した惨劇にこそ宿っていると思います。過剰なプロットの網羅性を求めるのは、むしろ作品の本質を見誤るのではないでしょうか?
チェンソーマン2部がつまらない理由④ 登場人物のキャラクター性がブレブレ…?
物語を支えるのはやはり“キャラクターの魅力”ですよね。ところが第2部の『チェンソーマン』では、このキャラクター性のブレが読者の没入感を削いでしまっているのでは…?という指摘が目立ちます。
★デンジの“フラット化”
第1部でのデンジは、悪魔との死闘を経て少しずつ感情を獲得し、人間的に成長していく姿が強い印象を残しました。
ぼろぼろになりながらも必死で生きるその姿は、愚直でありながらも胸を打つものがありましたよね。
しかし第2部のデンジは、再び「普通の暮らし」を追い求めるあまり、まるで1部で得た人間性がリセットされてしまったかのように映る瞬間があります…。
彼が歩んできた成長が“巻き戻し”になっているように感じる読者も少なくないのです。
★アサという新主人公への距離感
もう一人の主人公・三鷹アサ(とその内に宿る戦◯の悪魔ヨル)。確かに彼女の不器用さや葛藤は丁寧に描かれていますが、第1部のデンジやパワーのような“瞬発的な魅力”に欠けるのも事実。
アサとヨルの掛け合いに温度差を感じたり、ヨルが思ったほど魅力的に映らないという声もあります。「面白いはずなのに、なぜか心を掴まれない…」という感覚を抱く読者も多いのではないでしょうか。
★サブキャラクターの不在感
第1部では、アキやパワー、姫野といった個性的な仲間たちが物語に厚みを与えていました。彼らの存在がデンジの成長や読者の感情を強く揺さぶり、退場後もなお心に残り続けるほどの余韻を残しました。
ところが第2部では、登場人物の掘り下げが浅く、感情移入する前に退場してしまうキャラも多いのです。そのため、ストーリーが進んでも心をえぐられるような重みが薄れ、読後感が淡白になってしまっているのです…。
チェンソーマン2部がつまらない理由⑤ 藤本タツキ先生は長編に不向き…?
藤本タツキ先生の作風を語るうえで、よく言われるのが「長編には向かないのでは?」という声です。というのも、藤本作品は緻密な設計図の上に物語を積み重ねるタイプではなく、閃きや勢いで一気に読者を引き込むタイプ。
そのため短期的には爆発力があるものの、長編になると構成の粗さや焦点の散漫さが目立ってしまうのです…。
★構成の粗さと焦点のブレ
第2部を読んでいても「この展開は何を目指しているのか分からない」と感じる瞬間があります。キャラクターが積み上げられては唐突に退場し、感情移入する前に消費されてしまう…。
こうした潔さは藤本作品の魅力でもありますが、長編においては「大切に育てたキャラをあっさり捨てた」という印象につながり、賛否が分かれる要因となっています。
★連載ペースが生む弊害
さらに、週刊や隔週といった連載ペースの制約も無視できません。短編では藤本先生特有のアイデアの爆発力が凝縮され、完成度の高い作品に仕上がりますが、連載となるとその自由さが裏目に出ることも…。
物語の軸を定める前に新しいアイデアが次々と投入され、結果として散らかって見えるのです。
★作者の才能が輝くのは短編にこそ?
実際、『ルックバック』や『さよなら絵梨』といった中編読み切りは、その構成の切れ味や余韻の深さから絶賛されました。
「藤本タツキは短編でこそ才能を最大限に発揮する作家だ!」という評価は、今や多くの読者が共有する感覚なのかもしれませんね。
チェンソーマン2部がつまらない理由⑥ 『ファイアパンチ』の二の舞…?
そして、古参の藤本ファンが最も懸念しているのが「第2部は『ファイアパンチ』の二の舞になるのでは?」という点です。
『ファイアパンチ』は倫理観の崩壊した世界観や唐突すぎる展開で、当時から賛否両論が激しく分かれました。「難解すぎてついていけない」「置いてけぼりにされた」という読者も少なくなかったのです…。
★読者を置き去りにする危うさ
第2部でも「新キャラが次々に出てくるのに物語の焦点が定まらない」「説明不足で理解しづらい」といった声が広がっています。
実験的な手法が作品の魅力を引き上げる一方で、そのバランスを誤れば“難解さ”が“わかりにくさ”に変わってしまう危うさを抱えているのです。
★テーマ性の掘り下げ不足
第1部では、マキマという圧倒的な存在のもとでデンジの人間性が容赦なく試されました。その緊張感が読者の心を震わせ、物語を最後まで突き動かしていたのです。
しかし第2部では、アサの「復讐」とデンジの「普通に生きたい」という対比が描かれつつも、その対立がまだ十分に深掘りされていない…。結果として、第1部のような骨太な推進力を感じにくいのです。
『チェンソーマン』打ち切り説の真相
「『チェンソーマン』は打ち切られたのではないか」という噂が一部で流布しましたが、これは複数の要因が重なって生じた誤解に過ぎず、事実とは異なります。
実際には原作は現在も連載継続中であり、むしろ新章へと発展を遂げています。
★第1部完結時の“急転直下”
2020年12月、『週刊少年ジャンプ』で展開された第1部「公安編」が突如幕を閉じたことが、打ち切り説の最初の火種となりました。物語の畳み方があまりにも急だったため、一部の読者は編集部による強制終了を疑ったのです。
しかし実際には、藤本タツキ自身が当初からあの結末を設計しており、物語を意図的に「駆け抜ける」ように完結させたと考えられます。
★『週刊少年ジャンプ』から『ジャンプ+』への移籍
第1部終了後、連載の場は紙媒体の『週刊少年ジャンプ』から、デジタルプラットフォーム『少年ジャンプ+』へと移行しました。
この“媒体の転換”が、「掲載誌から外された=打ち切り」と誤認された大きな要因です。実際にはむしろ、藤本氏により自由な表現環境を提供するための戦略的移籍だったと見るべきでしょう。
★アニメ化後の過剰反応
アニメ版が公開された際、その演出やテンポ、原作との解釈の差異に一部のファンが強い不満を示しました。「売上不振」「ひどい」といった声が一人歩きし、作品全体が失速しているかのような印象を与えたのです。
しかし制作スタジオMAPPAは、アニメが商業的に成功を収めたと明言しており、世間の噂とは大きく乖離しています。
☆現状と展望
• 漫画:2022年7月より『少年ジャンプ+』にて第2部「学園編」が開幕し、現在も連載は順調に継続中。
• アニメ:2025年9月には劇場版『チェンソーマン レゼ編』の公開が控えており、メディア展開はむしろ加速しています!
チェンソーマン 第二部 – 藤本タツキ – 少年ジャンプ+
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